HOME > 2014年11月の記事一覧 > 台湾花蓮 日治時代に生きた日本人移民達の軌跡

ニーハオ!ザニーです($・・)/

日本は寒いですか?
テレビで北海道の大雪の模様を見てびっくりしました(*_*;)
こっちも冷えてきましたが、まだだいたい20℃前後ですね。
気温は一年通してこんな感じです。


あの寒さが恋しいような、そうでないような。

そういえば、先日台湾人の友人の家に行ったら「いらっしゃい~」と弱々しい日本語が聞こえ、中から日本人のおばあちゃんが出てきました。
台北の都会に何の違和感もない田舎っぽいおばあちゃんが出てきて流暢に日本語を話してます。てか日本人だから流暢は当たり前ですが、中国語も流暢ですし少し動揺しました(@_@;)

気になったので色々話を聞いてみると、
そのおばあちゃんの両親は台湾東部の花蓮という場所に移民として移住してきたのだと話してくれました。

今の時代あまり聞き慣れない日本人移民…確かに日本統治時代の50年間(1895~1945)に台湾へ移り住んだ日本人がいるのは歴史上自然な流れなのかと思いますが、実際に教科書でなく生で歴史を体感すると鳥肌が立ちますね(*_*)

更に聞いてみると、1911年~1924年に政府の政策で主に四国や九州、遠くからは北陸、北海道などの当時貧困だった農民達を開発の遅れていた花連や台東に開墾を目的として派遣したとのことです。
以前紹介した映画セデック・バレの舞台も確か花蓮で同じ時代だったような(@_@)
ビビアンスーさんの母方の民族、タイヤル族の山に行ってきました。
台湾鳥来(ウーライ) 原住民タイヤル族の山

そんで帰宅後興奮が冷めやらず色々調べてみたら…
確かに花蓮には100年前日本人が移り住み、様々な土地を開拓をしたとのこと。
そしてまだ花蓮にはそんな日本統治時代に生きた日本人移民達の軌跡が所々残っているらしい!
何!
ここは台湾住在の日本人にとって必見ですね!
これまでも様々な台湾と日本の関係について発信させて頂いてきましたが、
今回ほど使命感を持って行くのは初めてです!
なにか台湾が親日国家である根源も見えてきそうです!

てなわけで今回は少し遠出して台北から220km離れた、

花蓮へ行って参りました($・・)/~~~



まず台北から花蓮の行き方ですが、2パターンあります。

①電車
料金  :440元
乗り場 :台北駅
所有時間:約180分

②飛行機
料金  :1550元
乗り場 :松山空港
所有時間:約35分


今回私は電車で向かいました!

電車は1982年の日本製。大きな音で揺れる感じがなんか懐かしいです。

運転室も実にレトロです。


180分と長いですが、花蓮に近づくにつれ車窓から見える大自然の眺めは最高でした!



花蓮に着きました($・・)/~~~




今回は駅前でレンタカーを借りて花蓮市内を周ることにしました。
レンタル料は一日1800元でした。

で、まず初めに向かったのが

松園別館です。






こちら松園別館は1944年に日本軍の高級将校の招待所として設立され、神風特攻隊が出陣する前に待機していた場所でもあります。
戦後、ホテル用に売却計画が持ち上がりましたが、地元民の反対に遭い取り消しに。
今では台湾の歴史風景特区として管理されています。

このホテル売却に反対した地元民って台湾人ですものね。
日本人(外国人)軍用施設のためにどうしてだろう。
単純なことを言えば、ホテルにした方が観光客も来て地元も豊かになるはずなのに。
そこまではその時代に生きてないと覗けない深い意義があるんでしょうね。私ごときが簡単には語れません。



中庭がカフェになってます。


こちらは全て材木で造られた松園故事館です。
かつては昭和天皇の肖像が掲げられており、終戦後数名の指揮官達が自決した場所でもあります。


この先は太平洋です。我々の先輩方はこの景色を最期に目に焼き付けたのでしょう。


少し今回のテーマとはずれましたが、外すことのできない場所だったので紹介させて頂きましたm(__)m


んで、次に向かったのが、吉野移民村の

吉野神社です。




こちら吉野移民村の多くは1911年に四国(主に徳島県)から来た約300人の移民で造られた村で、当時村人達の心の拠り所としていた吉野神社が今でも残っています。※戦後は慶修院と改名

入口では彼女達が出迎えてくれました。

彼女達になぜ浴衣を着ているのか尋ねると、ここの地区は今でも新年には浴衣を着て神社へ初詣に行くという文化が残っているそうです。
日本人移民はもうここにはいませんが、このように地元台湾人が現在も文化、伝統を継承してます。実に感慨深いものがあります。

それぞれ100年前のものが残っています。







境内の奥には四国巡礼霊場を模した八十八体の石像が並んでます。

四国遍路に行かずに50メートルほどで八十八体全てを拝めます。




台湾返還後、日本人移民の永住権は剥奪され帰国を余儀なくされた方々が現在でもここを故郷としてお参りに来るようです。
自分の生まれた国が外国になってしまった方々の心境を察することは到底できませんが、そのような事実が同じ日本人にあったことだけでも知れて良かった気がします。



で、最後に行きたかった場所には電車で行きました。


こちらは1913年に開業された豊田駅です。





こちらは日本人移民が移り住んだ豊田移民村の最寄り駅です。
彼らは何もなかった原野を開拓し、用水路を渡らせ、この地を開墾しました。

それにしても素晴らしい景色です。

昔懐かしの駄菓子屋があります。


こちらは当時移民達が住んでいた家です。今資料館になってます。




さらにてくてく。


おぉこれは!

道端に突如鳥居が!



でもこれ何かおかしくないか?

何か違和感がある。

気のせいかな。

…。

あ!わかった!

寺なのに鳥居がある(@_@;)

一般的に日本では神社が神道、寺が仏教の宗教施設で分かれており、鳥居は神社にだけあるものですよね。
が、ここは交わるはずのない2つがコラボしてます。

奥へ進んでみると…
やはり寺なのに石灯籠があります。

日本の年号が消されてます。


更に奥へ進むと

おぉ出た!台湾風のお寺!
まさか鳥居の中にあるとは。

境内にはココナッツの木もコラボしてます。


と少し動揺しましたが、ここは1914年に日本人移民達によってつくられた豊田神社です。※戦後碧蓮寺に改名

終戦後に蒋介石が台湾に来てからこのような蒋介石を崇める施設ができ、仏式併せて祀ることになったそうです。
実際国が変わったのだから全部壊してしまって、新しい色に染めるのが政府の統制上有利なはずなのにそれをしなかったんですね。

うーん。

終戦後にも台湾に住み続けられた一部の日本人移民がいました。それは2種類あって、

1.台湾人と婚姻関係にある女性
2.両親を亡くした戦争孤児(地元台湾人の家庭に拾われれていった)

ここからは私の想像ですが、上記のような日本人への配慮や帰国していった移民達と現地民との関係がかたちとなって、現代に残っているのではないかと思いました。台湾人達の心意気に感服しますし、先輩方の偉大さには敬意を払います。





さて、

私達の世代も今の時代に担う以上、
後世に良きものを残せるよう日々邁進していかなくてはなりません!

晴天なり!視界良好!

ではお読み頂き有難う御座いました!

翌日は花蓮の太魯閣(タロコ)に行きました。
台湾花蓮 噂通り圧巻の大自然だった太魯閣(タロコ)

再見($・・)/~~~
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